29.2.12

01

今野千尋『二足歩行』
東北生活文化大学 生活美術学科~卒業制作展より~

ちょっとのんびり歩きながら
「卒業制作展 巡り」なんていかが?


 二月、卒業制作展の多い時期である。BankARTで開催中の「女子美スタイル」にも興味があったが、生憎日曜日までの仙台入りとあって、仙台市内で開催中の卒業展をあたってみることにした。市内の様々なアートイベントや展示が行われる「せんだいメディアテーク」にて複数の地元大学、専門学校の卒業制作展が開催されているのを知り、足を運んだ。

 今年の仙台は、例年に増して寒いらしい。道中、ビルをふと見上げる視界に粉雪がちらほらと舞っている。国分町界隈を定禅寺通に沿って歩いていると、何やらガラス張りのそれらしき建物が見えてきた。恐竜の骨のような白い柱に覆われたオープンスクエアは入る前から中の様子が伺える。1Fはカフェなどがあるホール、3,4Fは図書館。目的のギャラリーがあるのは6Fだ。三校の卒業展が行われていたが、興味深かったのは「東北生活文化大学 生活美術学科」の卒業制作展だった。

 「生活文化」と聞くと、芸術より機能的な、どちらかと言うとプロダクトデザインのような印象を受けるが、意外とそうでもない様相だ。彫刻、版画といった美大のそれに近い芸術的な作品の展示が中心である。また、卒業展というと、まだ表現としては未完成な「隙」のようなものを感じられるところに、プロの展示とまた違った醍醐味を与えてくれるものだと勝手に思っていたが、蓋を開けてみるとその完成度の高さに、いい意味で裏切られた気がした。   

 中でも、今野千尋の「二足歩行」という作品に惹かれた。板紙凹凸版画で描かれた大きな作品は、小さなブックレットを中心にプロペラ状に展示されている。寄りと引き、それぞれ二対の絵でコントラストをつけて見せていく手法だ。全部で十二点あったが、色彩は無く、いずれも顔や上半身は描かれていない。今野は、すべての作品において、二本の足だけを追っている。言い換えれば「二足歩行」する様のみクローズアップしている一見シュールな表現である。

 作品に込められた、彼女のメッセージを紐解くとすれば、それは「存在」であろう。そもそも、この作品は谷川俊太郎の詩「朝のリレー」からインスピレーションを受けたそうだ。谷川の詩の中の言葉には情景や時間を垣間みることが出来る。対して今野の作品に描かれている大きな本の間を歩行したり、洞穴から出てくる「二足」たちには時代や季節はもちろんのこと、表情や情緒などは描写されていない。ただ一つ云えることは「二足」が踏み込むところには必ず「地面」すなわち「場所」が存在する。裏を返せば「場所」は二足の「存在」を証明するということだ。時代や特定の背景を排除した表現がより「生きている」という「存在」を強く際立たせているに違いない。

 「歩く」という字は、「止まる」が「少ない」と書く。それは少なからず「進んでいる」ということだ。ひたすら二足が「歩いている」「小走りしている」描写は、谷川俊太郎の詩の世界観にも相通ずる、宇宙の中の日常、日常の中の「生きる(動いている)」という人間の時間軸や存在意義を、彼女なりのオマージュとして表現しているのではないだろうか。


文・鎌江謙太]