8.12.12


04

原良介『絵画への小径(こみち)』
茅ヶ崎美術館

スマートな味付けに違和感を盛り付ける
原良介のマイノリティー表現とは?


 自宅から歩いて5分。美術館が近くにあるのはそもそも偶然だが、はじめてここへ足を踏み入れるのは、ちょっと意図的な思惑もあっただろう。これからもさまざまなアートの界隈をのぞいてみようという決意と抱き合わせに、一度は訪れなければという軽い脅迫観念のようなものがあったに違いない。辺りを包む高砂緑地から姿を現した茅ヶ崎美術館は、「いつでも此処にいるさ。」と囁いているようで、ご近所だけに気持ちがかえって覚束ない。


 緑地の小径を抜けてたどり着いたのは、偶然にも「絵画への小径(こみち)」と題された、原良介の展示だ。ここ湘南出身で在住の原良介は、多摩美術大学から同大学院を経て、公募展「トーキョーワンダーウォール都庁2001」でグランプリを受賞した後も、多くの個展・グループ展で作品を発表している。これもまた何だか覚束ないが、ご近所つながりの作家である。手前味噌的な話題はさておき、その表現の世界観に触れてみることにする。


 館内の螺旋階段を地下へと降りると、どうやら展示は2つに分けられているようだ。向かって右の明るい大きな展示室と、左の少し照明を落とした映像ルームのような小さい展示室とがある。まずは、こちらが最初であろうと勘ぐり、明るい展示室から入り込んでみる。やはり、フライヤーのビジュアルにもなっている「by a forest」はこちら側であった。この作品は、森の中の小径をまるでこびとや妖精が散策するかようにその大樹の根を渡る3人の女性の姿がモチーフになっている。


 3人の女性に何か不思議な違和感を憶えた。皆が赤い靴を履き、青いストライプの大きなストールのようなものを羽織っている。3姉妹であろうか? いや、姉妹というよりむしろ同一人物に見える。程なく3人は同じ女性であると確信した。他の森の中の作品にも同様に、女性が3人描かれている。歩く残像をコマ送りしたのだろうか。良くゴルフ雑誌やベースボール誌で、お手本スウィングやピッチングフォームをコマにした連写写真が掲載されていたりするが、それとは少し違うのだ。同一人物であるが、明らかに3人が同じ時間に存在し、連なって小径を歩いている。人物は描かれていないが「three moons」という作品があった。こちらも文字どおり、夜空に月が3つ存在する。現実では、1つしか見えるはずの無い月を原は、なぜ3つ描いたのであろうか?


 原の絵画の殆どは「自然」をモチーフ(舞台)にそえている。しかし、目の前に写る景色を模写して表現する、俗にいう風景画とは違う。そして、とくに油絵の具で丹念に色を重ねた様子は無く、あっさりと描かれている。何方かというとオリーブオイルに塩をひとふりしたイタリアンサラダのようなあまり丹念に作り込まない印象だ。森などの自然描写もバジルソースを手際よく絡めたようなタッチである。大学院時代に現代美術に触れ「一層描き」のスタイルに行き着いたと原本人が述べているが、作中においては、自然そのものの描写より、むしろ差異のようなものを意識しているに違いない。


 表現において、タッチや技法と同様に、モチーフや構図に違和感を与えるという手法は1つの武器となり得るはずだ。原の描く作品はどれも一見して入り込みやすそうな絵であるが、そこに自然界や人間社会における、普遍性の中に混入した異物のようなものを現しているのではないだろうか。マジョリティな解釈での自然に対して、原の視点でしか表現し得ないマイノリティの中に存在する自然だ。自然の摂理には、人知を越えた未知の部分が広く存在するが、さらに、生命や魂といった概念には、より宇宙現象的な領域での不可思議が存在するはずだ。容易には捕まえることのできない、不確かなその断片をさらっと調理することで、原の世界観は表現されているのだろう。


 冒頭で説明した左のもう一つの展示スペースには、サークル状に木組みされたセットに6点ほどの作品が展示されていた。「次元ドローイング」と銘打ったシリーズである。先に見た大作にくらべ、小品を集めたような展示だが、こちらの方が、味わいを凝縮した原の世界観を手軽に堪能できる気もする。コピー用紙の裏側を再利用するように、過去に描き損じたキャンバスの裏側(少しグレーにくすんだ風合いの麻生地)に枝葉などが日本画のようにシンプルな構図で描かれているが、どの作品にも青い付箋が描き加えられている。予定調和に相反するこの付箋を置くことで、差異という原ならではのマイノリティな表現が込められるのだ。仕上げのオリーブを無造作に盛り付けるように、簡単に自然というモチーフに違和感を加える行為。それは、メインディッシュより前菜にシェフの技と感性を感じるような心境だ。順序としては、やはり前菜から味わうべきだったのだろうか?そんな風に想いを馳せて、ご近所美術館を後にした。斯くなる上はまたこの小径を抜けて、いろんなアートに出会いたいものだ。


[文・鎌江謙太]