20.10.14

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黄金町バザール2014
 
 

陽が低くなった午後の高架下。
ランドセルを家に置いて集まってきた子供たちの声が聞こえる。
駅からの道すがら、すれ違う自転車の中高生。
身体を斜めにしてよけると、お辞儀をする男子学生がいる。
ありがとうございますと笑顔になる女子学生もいる。
スーパーの袋を下げた中年男性には「こんにちは」と挨拶を返される。
足早に急ぐ買い物に向かう老婦人に笑顔で「こんばんは」と声をかけられる。
    
ここは横浜の黄金町と日の出町の間にある高架下階段広場。
    
戦後の半世紀以上の間、強い力で赤い電球色に仕切られていた通り。
なぜこの場所が選ばれたのか、なぜこの場所だったのか。
いつしか子供の声は消え、大人さえ足を踏み込めない場所になっていた。
特別な目的のためだけに機能するようにプログラムされていたこの高架下。
闇から闇へと紙幣が動く。紙幣によって人の心も動く。
    
半世紀のち、この町には違う機能が与えられる。
過去の記録は、新しい力に排除される。
その箒としてアートが選ばれた。
アート自体は決して強い力など持ち得ない。
しかし、昼の光の中、人が動き始めた。
それは紙幣を動かすことなく、小さく動き始めた。
    
二十世紀後半の十年、バブルの崩壊により価値観に変動が起こる。
人々の関心事がお金からお金で買えないものへと移行され始めていた。
    
いろんなことを言う人がいる。
   
「アートで町は変えられるのか?」「そんなの無理だよ」
   
「お洒落な雰囲気にしちゃおうよ」「そんなのつくりもんだよ」
   
外から来た人がごちゃごちゃ言っている。
外から来る人をどう集客するかで議論ばかり。
   
そんな中、ふと聞こえてきた子供たちの笑い声。
   
子供たちが戻ってきている、笑顔が戻ってきている。
    
町には子供がいなければならない。
高架下の小さなアートスペースに子供たちが入ったり出たりを繰り返す。
スタンプを押す。
お互いのスタンプの数を確認し合う。
競ってスタンプの場所を探し歩く。
それは宝探しのように、子供たちを導いていく。
    
スタンプを押すたびに作品が見える。
スタンプを押して、作品を見る。
    
子供たちはいつしか大人になる。
戦後半世紀の記憶とは違う歴史の中で成長する。
    
アートをきっかけに、子供たち自身の意思で、
強い力には決して動かせない意思を、知らず知らずの中で養う。
    
戦前の町に戻ること、日常に戻ること、それが町の進むべき未来。
    
アートの中で、アートに関わる人々を友達に持ちながら、
子供たちはいつしか生まれ育った故郷が好きになり、誇れるようになる。
    
アートという栄養で子供たちが心身ともに健康に育つように。
アートの可能性を確信した、夕方の高架下広場。
    
    
「この町には昔、アートがあったんだ」
半世紀後、そんな記憶にならないように。
 
 
[ 文 : 新城順子]