25.4.13

05
美術批評「巨大なイカを捉えよ ~桜井貴の生活と芸術~」


文:斉藤 誠

画家は絵のモチーフを選ぶ際、一体何を基準にしているのだろう。又、普段どういうアンテナを張って生活しているのだろう。それこそ、中世以前の西欧なら題材はキリスト教に関するものと決まっていたし、大概題材は依頼主から指定されるから、画家がその事で悩む必要はなかった。しかし、かつてないほど価値観が多様化し、大量の情報が溢れる現代社会において、画家は絵のモチーフを選ぶのも容易ではないはずだ。画布に最初の一筆が下される前の段階――こういう事を想像するのは、完成された絵画を鑑賞するのとは又違った楽しみがある。

この楽しみを鑑賞者に存分に味あわせてくれる作家の一人が桜井貴である。彼の絵のモチーフは、一風変わっている――AKB48や歴史的名画、又は女子高生等々。しかし、誤解してはならないのは、桜井は何も奇を衒っているのではないという事だ。そうではなく、一瞬のズラシ、これに彼は賭けているのである。常にその隙を伺っている。ゆえに、画布に最初の一筆を下す前、この時間こそが桜井にとって勝負なのだ。

その彼の真骨頂を示す作品が今年1月に出品された《無題》と題された絵画作品である。モチーフはダイオウイカ。深海に生息する10メートルを超す巨大イカである。これを桜井は、かなり小さなサイズの画布(3号)に描いた。ダイオウイカはあたかも標本のように垂直に配置されている。その他は、たとえば海底魚や深海探査機などは一切描かれていない。従って、私たちがその画面からイカの巨大さを感じ取る事はほぼ不可能である。もし、画面の下部に示された「ダイオウイカ」という文字がなければ、鑑賞者はせいぜいスルメイカ程度にしか見えないだろう。

巨大なものを極小化して描く――これだけでも写真とは異なる絵画ならではの楽しみを私たちに与えてくれる。しかし、それだけではこの絵画作品の魅力を半分しか説明した事にならない。この作品のもう一つの意義は、その制作されたタイミングとスピードにある。

ダイオウイカの《無題》が出品されたのは118日の事、「掘りごたつ派ZEROOne Night Carnival~」というグループ展であった。このタイミングでダイオウイカの絵が出て来た事に人々は一様に驚いた。なぜなら、113日にNHKで放送された「世界初撮影!深海の超巨大イカ」という番組によって、巷でダイオウイカが一寸した話題になっていたからだ。つまり、もし桜井が同番組を観て作品を着想したのなら、制作期間はわずか5日間しかなかった事になる。そして実際に、その短期間で一気に作品を仕上げてしまったのだ。

おそらく、桜井は何か面白いネタがあればモノにしてやろうと、展覧会の開催直前までアンテナを張り続けていたのだろう。何も画布に向き合っている時間ばかりが画家なのではない。彼はそれ以外の時間―すなわち食事する、散歩する、テレビを観る―こういう何気ない時間を重視する。あらゆる対象に目を光らせ、ひとたび獲物(モチーフ、ネタ)を発見するや否や、一気にそれを捉えて画布に表してしまう。ダイオウイカの《無題》からは、その一瞬に賭ける作家の緊迫感、画布へ最初の一筆を下す前の精神的活動がひしひしと伝わってくる。その忍耐力と瞬発力にこそ彼の芸術的強みがあるのではなかろうか。それが観る者の心を打つのだ。桜井貴は、そういう絵の見方を私たちに教えてくれる数少ない作家の一人なのである。






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