8.9.13


09

2020年夏季五輪開催地選考
東京オリンピック開催決定


"Under Control"の真意、
そして2020の文化発信は如何に。



2020年東京でのオリンピック開催が決定した。
単にスポーツだけの枠にとどまらない世界規模のビックイベントが、日本で行われることはとても素晴らしいことだ。自分はまだ生まれていなかったが、先の東京オリンピック(1964)も戦後日本の経済成長、国民の士気向上やさまざまな国益・国際的発展へと計り知しれない影響をもたらしたことに異論はない。そして、いろんな意見があっていいだろう。

今回の一連の招致活動には、おおいに複雑な思いがあった。
震災後のさまざまな問題に加え、福島の「汚染水」が深刻であるという現状とその招致へのコンセンサス、ならびに開催決定後の影響力を切り離して考えることは出来ないと思ったからだ。

それは「オリンピックなんてどうでもいい」という捻くれた感情ではない。自分も高校まで甲子園を目指して野球をやってきたし、「スポーツ」観戦、ことオリンピックやワールドカップといった世界大会の祭典は、寝る間も惜しんでワクワクするくらいに興味感心がある。そもそもたいていの人がそうだろう。本来は大手を挙げてバンザイといきたいのに、何だかノリきれない人も実際少なくない筈だ。

しかし、このモヤモヤとした感覚の一因は、歓喜する純粋なスポーツファンとは無関係のところで、何か計算されたプロパガンダのようなものが、はっきりと動いていることが透けて見えてくるからだ。純粋に喜ぶ国民同様、安倍総理や猪瀬都知事がさわやかな動機で「素晴らしき感動の祭典を東京で!」と躍起になっているのならまだ可愛いが、アスリートや純粋なスポーツファンをも巻き込んで、名誉の蓄積に翻弄する姿にえも言えない「不格好さ」を感じてしまう。しかしここで言う「名誉」とは巨大ビジネスであり、イメージを操る格好の道具ともなることは明白だからだ。オリンピックを実現させた功労者としてシンボル化される安倍総理。表向き国民の心証は良くなったのかもしれない。ただ、それがとても怖い。

プレゼンにおいて、安倍総理が舌足らずの英語で放った”under control”「状況はコントロールされている」という宣言は非常に重要な言葉だ。言葉のアヤなのだが、日本語で意訳的に言うと「状況を常に(把握できるように)政府がコントロール(情報収集と解決策に取り組んでいる)している」と「放射能が一切漏れないように、完全に制御できている」とはかなり意味が違う。水面下での予断の許さぬ状況を政府が監視していることは、世界世論にとっては、もはや「当たり前」のことと思うため、当然、安倍総理のステートメントは後者として受け止められることだろう。国内ではその「当たり前」が出来ているのか?という議論があるにもかかわらず…

さらにIOCからの質問に際して総理が言った、
「第一原発の港湾内の0.3km範囲内の中で完全にブロックされています。」
「数値は最大でもWHOの飲料水の水質ガイドラインの500分の1であります。」
「つまり健康問題については、今までも、現在も、そして将来も全く問題はないという事をお約束します。」
については、まさに「瀬戸ぎわのチカラ技」としか思えなかった。いち総理の宣言として、国民にこのようなハッキリとした具体的な声明を出したことも無いのに、世界的に注目される場でこう言ってのけた「外ヅラ発言」を疑わずにはいられないからだ。真意は別として、国内でもこれくらい歯切れよく、国民の懸念に応えてほしいものだ。そしてこれは国内を飛び越えて、世界にその責任を表明したことに他ならない。

戦後の復興と3.11からの復興を「オリンピック」に重ね合わせるのは難しいだろう。そもそも「オリンピック」の意味と時代背景が大きく変化している中でカラーテレビが普及し、新幹線が開通し、首都高が循環する。そんな経済神話の契機となることに、オリンピックを期待するのはもはや違う気がする。確かにオリンピックはさらに巨大ビジネス化し、株や地価も上昇することが予測できる。もちろんメディアやメーカー企業にとって大きな経済契機になることは間違いない。しかしもはや経済力(国際競争力)を世界に示す時代ではないのではないか。

さまざまな問題を抱えながら、成熟期を向かえている日本にとってさらに文化(良識)を磨き、世界に示すことがこれから進むべき道だと思う。日本人の素晴らしい文化意識や心意気を世界へ発信する大きなチャンスでもある。おおげさに言うと、そんな日本の魅力こそが、これからの国際社会を引っ張って行く原動力になるかもしれない。

前向きに考えれば、これから7年は世界世論が、日本の原発の問題に注視するはずだ。世界からの監視を維持出来たことは大きなプラスだとも考えられる。オリンピック開催国としての威厳をかけた「いい格好しい」の情報操作や真実をねじ曲げることに”under control” コントロールが駆使されないことを願う。そして、日本人が誇りを持って「純粋」にこの「夢の祭典」に一喜一憂し、楽しむことが出来れば最高だ。

(文・鎌江謙太)

21.8.13

08


里山の限界芸術vol.3 上野雄次
『限界花道家☆花いけ大作戦!』
越後妻有 大地の芸術祭の里


気と花と体、そして偶然性。
全てがひとつになった、壮絶「花いけ」パフォーマンス。





 大地の芸術祭の里。この里山の限界集落を舞台に四月より繰り広げられてきた、花道家 上野雄次の最後の生パフォーマンスを見たく夏の越後妻有を訪れた。

 上野雄次は、勅使河原宏の前衛的な生け花に出会い華道を学ぶも、そのフィールドを超越した創作活動により、独自の「花いけ」という世界観で表現を展開するアーティストだ。「花いけ大作戦!」と題された今回の企画展は、上野の「花いけ」をさらに凌駕する機会に違いない。里山という恵まれた自然舞台とこの土地に根づく習慣や人々に長期的に関わることで、どのような「花いけ」パフォーマンスを見せるのか興味深かった。


 初めて上野のパフォーマンスを目の当たりにするわけだが、常に型破りな大胆さが存在するであろうことは、乗用車に巨大な鳥の巣のような枝木を乗せて(いけて)走る「暴走花いけ限界号」※1 を見れば容易に想像はつく。ただ、今回はここ越後妻有での締め括りとなるハレの場であるということは間違いないだけに、期待も高まる。

 
 パフォーマンスは、「脱皮する家」※2 という古民家で行なわれた。吹き抜けの居間に20人ほどのギャラリーが囲むように座るその輪の中央が、もちろん上野の独壇場の舞台となるであろう。正座して一礼をする上野は、パフォーマンスが始まる合図かの如くパーカーのフードを被る。これは上野が臨戦態勢であることを意味する。中央にどっさりと積まれた里山の草木を前にして、おもむろにとり出した黄色い糸を足の先端から自身の身体全体へと巻き付けていく。一体何が始まるのか予測出来なかったが、巻き終えた糸に目の前の草をひと握り差した瞬間に意表をつかれた。自らの身体に草花を「いける」というのだ。ギャラリーが息を呑んで黙視する中、バサバサと草を自らの身体にいけていく。程なくして上野の身体は草木で全く覆われた。
 
 ワラの衣装に包まれた「なまはげ」のような姿になると、今度は先ほどの黄色い巻き糸を口にくわえ、蜘蛛のようにその糸を垂らしながら家の四方八方いたるところを動き回るのである。柱があろうが、梁があろうが、ギャラリーが居ようがお構いなしだ。取り憑かれたように、ときには吹き抜けの梁によじ登り、縦横無尽に黄色い糸を張り巡らせていく。静かなこの古民家に響きわたるのは上野の息遣いと汗のしたたるような足音だけであったが、途中に突然の雷鳴とともに物凄い夕立が降り出した。それは偶然なのか、上野が呼び寄せた必然なのかわからないまま、雷の閃光と屋根や庇を叩き付ける豪雨の音はパフォーマンスの佳境をさらに演出した。

 かれこれ1時間はとうに経過したはずだ。様々な角度に交差する黄色い糸は、まさに蜘蛛の巣の様に放射状に張り巡らされている。木の椅子をその蜘蛛の巣に絡ませた。それは巣に填まった昆虫のようにぶら下がっている。黄色い草花の束を巣に叩き付けたかと思うと、黄色い花びらが乱舞するその花を中央にいける。いよいよ仕上げの「花いけ」である。その花の束は糸の弾力で天地が逆になり下を向いた。予定調和を最後まで裏切る偶然の演出だ。そして、この儀式を封印するかの様に最後の一輪を立て
(いけ)る。言うまでも無く上野の「気」はダイレクトにこちら側に伝わって来た。それゆえに、上野は何故ここまで身体を張り、草花と対峙(格闘)しながら表現するのだろう?そんな想いにまで及ぶのである。

 武道(とりわけて剣道)に「気剣体一致【き けん たい いっち】」という言葉がある。気合と剣の動き、そして体捌きがつねに三位一体とならなければいけないということだが、上野に置き換えるとそれは「気花体一致」と言えるかも知れない。その三つのバランスがパフォーマンスの出来や間を左右するのではないか。華道のみならず、茶道や武道といった、日本の
芸術文化では、「気」や「間」といった要素が古くからの重要な美学の根源と理解されている。上野の場合、花をいけてシンボル化された表現のカタチよりも、その行為の波動に創造力を強く感じるのだ。

 今回、彼と同行して印象に残った言葉があった。『花をいけるという行為は、自然(花)に対して何もいいことをしていないし、人間の一方的な思惑であるに過ぎない』というフレーズだ。続けて『ただ人間は植物を切って、移し、飾るということで、自然を深くイメージ出来る。しなやかでありながら、到底制御しきれない屈強な自然に触れることで、「生」や「死」、「地球規模の自然サイクル」に至るまでを見い出そうとしているのではないか』と。まさに3.11以降の今日においては、琴線に触れる言葉である。伝統的な「華道」の枠をぶち破りながら、「華道」の本来の精神や考えを皆に継承して伝える上野の姿がとても印象深かった。


 斜に構えた涼しげな美術表現とは、明らかに一線を画する上野ならではの表現活動は、これからも創造と破壊を繰り返しながら、人の道、すなわち「生」や「死」の生々しさを表現し、自然界との交差を体現しながら、さらに走り続けるのであろう。


 会期最終日の夕暮れ、これまで共にした集落の人々やスタッフが集まりバーベキューが行われた。当初は、シンボリックに走り回った「暴走花いけ限界号」の枝木をここで燃やす目論見だったらしいが、まだ引き合いがあるという限界号の枝木の代わりに、オープニングで農舞台ギャラリーの屋上に立てた杉の木などを燃やすこととなった。里山に発光する炎を囲み、最後の挨拶をする上野が感極まって言葉を詰まらせたシーンは今でも忘れられない。つねに「気」を込めて人にも表現にも前向きに接する上野雄次の姿勢を象徴するエピソードだ。ひとつの「祭」が終わり、見渡せば遠く山々の輪郭を映す夕刻の空が、紺色に輝いている。それは、彼のパフォーマンス同様にとても神秘的で神聖な時間であった。


[文・鎌江謙太]



※1 暴走花いけ限界号
自家用車に枝木をいけた自走する「花いけ」作品だ。そのルーツは昔の貴族階級が御所車に花をいけた「花車」を現代に見立てているという。奇抜なシルエットだが、積載・車高制限をクリアし都内などでも普通に走行している。

※2 脱皮する家
この建物自体、日本大学芸術学部絵画学科彫刻コース有志の学生により作品化された築150年の農家民宿なのだが、床、柱から天井の梁にいたるまで、気が遠くなるほどに建物の全てが彫刻刀で細かく刻まれている。その作業は、3,000人工を要するほどの作業だったいう。夏の青青とした里山の限界集落に、すっかり溶け込む佇まいだが、無数に刻まれた「記憶」ともいえるタッチとともに新しい手触りを加えられ、まさに脱皮(再生)した古民家だ。










29.5.13

07


古久保憲満・松本寛庸展

UNDER GALLERY 35
『スーパーワールド・オン・ペーパー』
BankART Studio NYK


「アール・ブリュット」の領域を越えて、
繰り広げられる「世界」と終着無き「執着」




 先月半ばまでBankARTで開催されていた「UNDER GALLERY 35」。注目をあびる35歳以下のアーティストとプロデュースする立場のギャラリー(マネージャー)がタッグを組むというかたちで、コンクリート剥き出しの無機質な広いスタジオ2.3Fスペースをまたがって6組6様の個性を放つ、有機的な個展空間が展開された。

 いま、アーティストすなわち作家側にとって、キュレーターやプロデューサーといった存在との揺るぎない信頼関係は、作風や創作活動に影響を及ぼすほど、切り離すことのできない大きな役割を果たしているのかも知れない。絵画、彫刻、インスタレーションと各チームの表現はさまざまだが、ここでいう「マネージャー」の熱が幾分伝わってきて、作品に何か見えない奥深ささえ与えている気がするのも確かだ。

 ただ、そういった趣旨の今回の企画において、一切そのことを超越して目に焼き付いたのが、古久保憲満と松本寛庸、両作家の圧倒的な絵画であった。「スーパーワールド・オン・ペーパー」というタイトル通り、まさに紙の上に、彼らの驚愕の世界観が広がっているのだ。

 一般的には「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」というと、知的障害者や自閉症などの精神障害者によるアートと単純に解釈されがちだが、本来はアートの教育を受けずに、またその恩恵による発表の場やコネクションを持たずして、独学での表現、独自の活動に根差すことで創作意欲を築き上げてきた作家のつくるアート作品を指す。

 二人の作家にどのようなハンディがあるかなどといった問題はそもそも関係が無い。とにかくその緻密さと大胆さが同居したドローイングと無限の色彩感覚は、群を抜いて素晴らしいからだ。二人の絵画に共通するような、建物や飛行機、ドット模様やフラッグといった細かなモチーフのひとつひとつは、少し歪んだフォルムであったり、記号化された二次元的イメージに過ぎないのだが、作品全体を見たとき、構図の軸がしっかりしているといえばいいのか、とてもどっしりとした絶妙なバランス感覚が感じられるのだ。

 どちらかといえば、古久保の絵は「線」に、松本の絵は「点」と「面」に、その上手さの妙を感じる。作品の要素となるその妙が「執着」という二人の共通言語でもあるかの如く、気が遠くなる程いくつも重なり、さらにランダムに並ぶのである。以前「アートを綴る」講座で、草間彌生の制作風景の映像を見たことがあったが、草間が大きな紙面に、執拗に彼女の代名詞でもある「ドット」を下書きもなしに、とりつかれたように隅から描き込んでいく。まるで全体の構図などは一見お構いなしである。そんな姿が思い出されシンクロする。古久保と松本もまた、同じような感覚で描き込み、色を重ねていくのであろうか?ただ、完成された絶妙な構図、計算されたような色彩構成に、そのコンセンサスを吹き飛ばすような清々しさが内包されている点において、草間同様、天性のセンスを持ちあわせているとしか表現のしようが無い。

 前述した「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」という言葉は、単なるカテゴライズのための領域に過ぎない。作品を発表するアーティストにとって、無論、そんな分類に何の意味があろう。自由に解放されたフィールドに障害者も健常者も関係なく、観賞者の魂を揺さぶる独創性や芸術性が有るのか無いのか、そこにアートの大きな価値や意味が存在する。

 これから、古久保と松本の描くことへの「執着」は、いったいどこから生まれ、そしてどの世界へ終着するのか? いや、辿り着くという概念は無く、新たな世界へと自在な発想でつき進んで行くに違いない。「アウトサイダー」?! とんでもない。それはきっとこの上なくまっすぐな道だ。いま、目の前に繰り広げられている、外連味の無い彼らの作品こそが、実は生粋のアートなのではないのだろうか。そんな風に思えた。


[文・鎌江謙太]





26.4.13

06
会田誠初主演、松蔭浩之第一回監督作品『砂山』
@ミヅマアートギャラリー


短編においてあらすじは知らずに観た方がいい。私は松蔭さんの原作も読まずに、上映会場に向かった。

その夜、飯田橋駅からミヅマアートギャラリーまでの道沿いは、早咲きの桜が満開だった。3月30日(土)、ミヅマアートギャラリーでは、松蔭浩之第一回監督作品『砂山』の完成記念上映イベントが開催された。原作は松蔭さんが17年前に執筆したもので、会田誠さん初主演の短編映画作品であった。活弁映画監督の山田広野さんによる『瓶詰め男』、撮影を担当した監督の金子雅和さんによる新作『逢瀬』の上映に続き、いよいよ『砂山』が上映された。

最初の場面で、「もしかしたらパロディ色の強い作品なのだろうか?」と思ったが、そんなのはすぐに打ち消された。『逢瀬』のあまりにも美しいエンディングのせいか、立て続けに観た『瓶詰め男』シリーズのひとコマがデジャヴュのように蘇ってきたから?一連の上映の流れが、松蔭さんの演出だったのかもしれないとさえ思えた。だとすると、それは見事に完璧な演出だった。

1
8分の作品は、見終えた直後にスタンディングオベーションしたいほどに感動的なものだった。フランス映画好きならばたまらないはずのシーンでうめ尽くされていたからだ。
何よりも色彩が美しく、光の具合は絶妙で、会田さんをあれ程美しく撮れるのは松蔭さんを置いてほかにいないだろうと強く感じた。
会田さんは男の色香をスクリーンだけではなく会場全体に漂わせていた。

フランス映画のベッドシーンに特有の音楽を伴わない効果。それはとてもリアルで、だからとてもエロティックで、女性目線で言わせていただくと、愛撫シーンは最高にセクシーだった。シャツの隙間だけ日焼けした肌も(あれはメイク?それともリアルなもの?そんなことはどうでもいいが)、体臭を伴うような息を止めてしまうほどのリアル感を漂わせていた。
薄い黄色のリネンシャツのよれ具合も、ボタンの外し具合も、パンツの丈の長さも、裾の折り具合も、ヘアースタイルも髭の長さも、すべてに隙がなく、でも自然で。
映画の途中、途中に挿入されているクラシック音楽は、シーンとシーンを絶妙に繋げていた。

アトリエで赤い作品を描いているシーンでは、女が足の指を男の顔近くにのばして、青いペディキュアが塗られた足のまん中の指に赤い絵の具を塗るシーンがとても好き。実際には観たことがないのに、日活ロマンポルノみたいな淫靡な感じが漂っているように感じられたから。赤い画面の中に見え隠れする足指の青のペディキュアの色は、ゴダール作品の赤と青を彷彿とさせるものでもあった。

砂山を積み上げるシーン。男がもがき苦しんだ途端に画面が切り替わったから、スキンヘッドの青年は、あちらの世界とこちらの世界の境界線にいる道先案内人なのかと思えた。作った砂山を崩せと言った途端青年は消えて、瞬間、男がこちらの世界に戻ったのかなと。

砂山を崩すシーンを見ながら、映画『砂の女』のワンシーンを思い浮かべていた。
『砂の女』では、砂の穴の中から必死に這い上がろうともがく男がいて、穴の中に引き留めたい女がいた。
砂山を作りきったところで女に壊させるシーンに、『砂の女』に登場する男と女とは絶対的に異なった対極にあるシーンだと感じた。それは、とても現代的であり、なにかポジティブな空気に包まれているように見えた。

最初のシーツの山と最後の砂の山。
最初の山は、本能的な性的欲望。一日の始まりは≪拒まれる≫シーンで始まった。
赤い絵、赤いペディキュア、赤い激痛、そして残像。
最後の砂の山は、性欲を含んださまざまな欲望。それらは、金欲や出世欲や独占欲。
それまで必死になって造り上げてきた山だったけれど、男は女に≪「おまえに壊して欲しい」≫と言い、女が砂の山を蹴飛ばして崩していく。
二人の関係が少し変わった、男の想いが変わった一日。

ラストシーンの絵画のような美しい風景の中を、男と女が右から左へと消えていく。
今もその映像が蘇ってくる。

上映後に行なわれた、会田さん、松蔭さん、そしてゲストの辛酸なめ子さんによるトークで、原作では女が死んでしまうと言っていたが、映画ではそうじゃなくて良かったと感じた。女が死んでしまうと、それは『髪結いの亭主』みたいに切なすぎるから。

映画の中で、男の頭の中の想いを語るシーンにフランス語が用いられていた。
観客の女性が「なぜフランス語?(だっただろうか・・・)」と尋ね、松蔭さんは解らないといった顔をして≪とぼけているな≫と思った。(そう思ったのは、私だけだったのだろうか・・・)フランス語的な思考であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいのだ。
≪フランス語である必要があった≫はずだし、≪フランス語である明確な理由があった≫からの確信犯的投入だったに違いないから。そうですよね、松蔭さん?

最近観た映画作品の中で一番と言える作品、それが『砂山』。
見終えた直後、「時代はまさに松蔭さんや会田さんの時代になった!」そんなことを感じ嬉しくなった。いくえにも重なった時代のさまざまなエッセンスを全身で吸収してきた世代の時代が始まったのだと。


[文:新城 順子]



25.4.13

05
美術批評「巨大なイカを捉えよ ~桜井貴の生活と芸術~」


文:斉藤 誠

画家は絵のモチーフを選ぶ際、一体何を基準にしているのだろう。又、普段どういうアンテナを張って生活しているのだろう。それこそ、中世以前の西欧なら題材はキリスト教に関するものと決まっていたし、大概題材は依頼主から指定されるから、画家がその事で悩む必要はなかった。しかし、かつてないほど価値観が多様化し、大量の情報が溢れる現代社会において、画家は絵のモチーフを選ぶのも容易ではないはずだ。画布に最初の一筆が下される前の段階――こういう事を想像するのは、完成された絵画を鑑賞するのとは又違った楽しみがある。

この楽しみを鑑賞者に存分に味あわせてくれる作家の一人が桜井貴である。彼の絵のモチーフは、一風変わっている――AKB48や歴史的名画、又は女子高生等々。しかし、誤解してはならないのは、桜井は何も奇を衒っているのではないという事だ。そうではなく、一瞬のズラシ、これに彼は賭けているのである。常にその隙を伺っている。ゆえに、画布に最初の一筆を下す前、この時間こそが桜井にとって勝負なのだ。

その彼の真骨頂を示す作品が今年1月に出品された《無題》と題された絵画作品である。モチーフはダイオウイカ。深海に生息する10メートルを超す巨大イカである。これを桜井は、かなり小さなサイズの画布(3号)に描いた。ダイオウイカはあたかも標本のように垂直に配置されている。その他は、たとえば海底魚や深海探査機などは一切描かれていない。従って、私たちがその画面からイカの巨大さを感じ取る事はほぼ不可能である。もし、画面の下部に示された「ダイオウイカ」という文字がなければ、鑑賞者はせいぜいスルメイカ程度にしか見えないだろう。

巨大なものを極小化して描く――これだけでも写真とは異なる絵画ならではの楽しみを私たちに与えてくれる。しかし、それだけではこの絵画作品の魅力を半分しか説明した事にならない。この作品のもう一つの意義は、その制作されたタイミングとスピードにある。

ダイオウイカの《無題》が出品されたのは1月18日の事、「掘りごたつ派ZERO~One Night Carnival~」というグループ展であった。このタイミングでダイオウイカの絵が出て来た事に人々は一様に驚いた。なぜなら、1月13日にNHKで放送された「世界初撮影!深海の超巨大イカ」という番組によって、巷でダイオウイカが一寸した話題になっていたからだ。つまり、もし桜井が同番組を観て作品を着想したのなら、制作期間はわずか5日間しかなかった事になる。そして実際に、その短期間で一気に作品を仕上げてしまったのだ。

おそらく、桜井は何か面白いネタがあればモノにしてやろうと、展覧会の開催直前までアンテナを張り続けていたのだろう。何も画布に向き合っている時間ばかりが画家なのではない。彼はそれ以外の時間―すなわち食事する、散歩する、テレビを観る―こういう何気ない時間を重視する。あらゆる対象に目を光らせ、ひとたび獲物(モチーフ、ネタ)を発見するや否や、一気にそれを捉えて画布に表してしまう。ダイオウイカの《無題》からは、その一瞬に賭ける作家の緊迫感、画布へ最初の一筆を下す前の精神的活動がひしひしと伝わってくる。その忍耐力と瞬発力にこそ彼の芸術的強みがあるのではなかろうか。それが観る者の心を打つのだ。桜井貴は、そういう絵の見方を私たちに教えてくれる数少ない作家の一人なのである。






8.12.12


04

原良介『絵画への小径(こみち)』
茅ヶ崎美術館

スマートな味付けに違和感を盛り付ける
原良介のマイノリティー表現とは?


 自宅から歩いて5分。美術館が近くにあるのはそもそも偶然だが、はじめてここへ足を踏み入れるのは、ちょっと意図的な思惑もあっただろう。これからもさまざまなアートの界隈をのぞいてみようという決意と抱き合わせに、一度は訪れなければという軽い脅迫観念のようなものがあったに違いない。辺りを包む高砂緑地から姿を現した茅ヶ崎美術館は、「いつでも此処にいるさ。」と囁いているようで、ご近所だけに気持ちがかえって覚束ない。


 緑地の小径を抜けてたどり着いたのは、偶然にも「絵画への小径(こみち)」と題された、原良介の展示だ。ここ湘南出身で在住の原良介は、多摩美術大学から同大学院を経て、公募展「トーキョーワンダーウォール都庁2001」でグランプリを受賞した後も、多くの個展・グループ展で作品を発表している。これもまた何だか覚束ないが、ご近所つながりの作家である。手前味噌的な話題はさておき、その表現の世界観に触れてみることにする。


 館内の螺旋階段を地下へと降りると、どうやら展示は2つに分けられているようだ。向かって右の明るい大きな展示室と、左の少し照明を落とした映像ルームのような小さい展示室とがある。まずは、こちらが最初であろうと勘ぐり、明るい展示室から入り込んでみる。やはり、フライヤーのビジュアルにもなっている「by a forest」はこちら側であった。この作品は、森の中の小径をまるでこびとや妖精が散策するかようにその大樹の根を渡る3人の女性の姿がモチーフになっている。


 3人の女性に何か不思議な違和感を憶えた。皆が赤い靴を履き、青いストライプの大きなストールのようなものを羽織っている。3姉妹であろうか? いや、姉妹というよりむしろ同一人物に見える。程なく3人は同じ女性であると確信した。他の森の中の作品にも同様に、女性が3人描かれている。歩く残像をコマ送りしたのだろうか。良くゴルフ雑誌やベースボール誌で、お手本スウィングやピッチングフォームをコマにした連写写真が掲載されていたりするが、それとは少し違うのだ。同一人物であるが、明らかに3人が同じ時間に存在し、連なって小径を歩いている。人物は描かれていないが「three moons」という作品があった。こちらも文字どおり、夜空に月が3つ存在する。現実では、1つしか見えるはずの無い月を原は、なぜ3つ描いたのであろうか?


 原の絵画の殆どは「自然」をモチーフ(舞台)にそえている。しかし、目の前に写る景色を模写して表現する、俗にいう風景画とは違う。そして、とくに油絵の具で丹念に色を重ねた様子は無く、あっさりと描かれている。何方かというとオリーブオイルに塩をひとふりしたイタリアンサラダのようなあまり丹念に作り込まない印象だ。森などの自然描写もバジルソースを手際よく絡めたようなタッチである。大学院時代に現代美術に触れ「一層描き」のスタイルに行き着いたと原本人が述べているが、作中においては、自然そのものの描写より、むしろ差異のようなものを意識しているに違いない。


 表現において、タッチや技法と同様に、モチーフや構図に違和感を与えるという手法は1つの武器となり得るはずだ。原の描く作品はどれも一見して入り込みやすそうな絵であるが、そこに自然界や人間社会における、普遍性の中に混入した異物のようなものを現しているのではないだろうか。マジョリティな解釈での自然に対して、原の視点でしか表現し得ないマイノリティの中に存在する自然だ。自然の摂理には、人知を越えた未知の部分が広く存在するが、さらに、生命や魂といった概念には、より宇宙現象的な領域での不可思議が存在するはずだ。容易には捕まえることのできない、不確かなその断片をさらっと調理することで、原の世界観は表現されているのだろう。


 冒頭で説明した左のもう一つの展示スペースには、サークル状に木組みされたセットに6点ほどの作品が展示されていた。「次元ドローイング」と銘打ったシリーズである。先に見た大作にくらべ、小品を集めたような展示だが、こちらの方が、味わいを凝縮した原の世界観を手軽に堪能できる気もする。コピー用紙の裏側を再利用するように、過去に描き損じたキャンバスの裏側(少しグレーにくすんだ風合いの麻生地)に枝葉などが日本画のようにシンプルな構図で描かれているが、どの作品にも青い付箋が描き加えられている。予定調和に相反するこの付箋を置くことで、差異という原ならではのマイノリティな表現が込められるのだ。仕上げのオリーブを無造作に盛り付けるように、簡単に自然というモチーフに違和感を加える行為。それは、メインディッシュより前菜にシェフの技と感性を感じるような心境だ。順序としては、やはり前菜から味わうべきだったのだろうか?そんな風に想いを馳せて、ご近所美術館を後にした。斯くなる上はまたこの小径を抜けて、いろんなアートに出会いたいものだ。


[文・鎌江謙太]






8.11.12


03
 
美術批評「物々交換所の創造性」

文:斉藤 誠


今から5年前、当時まだ大学生であった美術家の酒井貴史は、《物々交換所》という活動を始めた。きっかけは学内に捨てられていた資材を見て「もったいない」と思ったことだ。そこで試しに大学構内に物々交換所を設置してみると、思いの外どんどん貰い手がついた。そこに楽しさを見出した酒井は卒業後に活動を本格化させていく。《物々交換所》とは、読んで字の如く、物と物を交換するための場所である。誰でも不要になった物を《物々交換所》に置くか、または、欲しいものがあれば持って帰ることができる。これを芸術作品と見るかどうかは意見の分かれるところだが、第三者同士が物と物を交換する行為自体を酒井自身の表現として解釈することはできる。しかし、こうした解釈では何か物足りない感じが残る。もっと大きな可能性があるように思えるのだ。

そこで、まず実際の《物々交換所》を訪ねてみる。横浜の黄金スタジオ内にある《物々交換所》には、青色のアイコンと不要品を置くためのラックしかない。ラックには、雑誌、ぬいぐるみ、ランプシェードをはじめ結構な物量。専任のスタッフはおらず、必要最低限のルールが記載されているだけだ。一見するとやや無味乾燥な印象を受けるが、この無色透明性こそが《物々交換所》の特徴だ。1週間後に再び訪ねると、すべての品が入れ替わっていた。黄金スタジオのスタッフによると「毎日のように訪れるファンがいる」そうだ。

そして、ネット空間にはもうひとつの「物々交換所」がある。と言っても、ネット上で物を交換させるわけではない。リアルな《物々交換所》からは人と人との交流が生まれにくいため、補完的なコミュニケーションツールとしてソーシャルメディアを用いているのだ。物の流通を促すための潤滑油としての側面もあるが、面白いのはそこで交わされる会話。「鍋が欲しかったが蓋だけだった」といったネタ的なものから「世の中お金がなくても生きていけると思った」という物々交換そのものをめぐる意見まで、さまざまな書き込みがあふれている。

このように、《物々交換所》はリアル空間とネット空間により構成されるひとつの体系なのだ。人々は双方の空間を行き来しながら交換を楽しむ。そこに見受けられるのは一種のゲーム感覚だ。設置運営者の酒井でさえ「1プレイヤー」にすぎない。彼自身、着るものすべてを《物々交換所》で調達しているほどだ。共通の目標を持たずとも、ゲームに参加することで、結果として物々交換という運動が進んでいく。したがって、ゲームへの参加のしやすさが問題となるが、前述した《物々交換所》の無色透明性がそのキーポイントとなっている。


《物々交換所》はその性格上、反消費主義やエコロジーな観点から捉えられがちである。しかし、酒井は「あえてそうした主義主張を込めないようにしている」と言う。もし仮に「循環社会の構築に寄与するため」などと活動目標を謳っていたなら、賛同する人もいる反面、興味のない人たちを疎外してしまうだろう。そうではなく、誰もが気軽にコミットすることができるよう配慮することで、《物々交換所》に関わる人自身が意味を見出す余地が残されているのだ。そして、その空き地からは無数の小さな物語が芽生えてくる。たとえば、次のような話がネット上に綴られている――。彼女はいつも《物々交換所》でシャツを探している。見つけると持ち帰って刺繍をした上で《物々交換所》に置いてくる。そしてまた違うシャツを探して刺繍を…、ということを繰り返す。自分が刺繍をしたシャツを着て歩く人を見たい。その日を彼女は心待ちにしているのだ。


※本稿は、「HAMArt! vol.6」(2012年10月発行)に掲載された記事です。