8.9.13


09

2020年夏季五輪開催地選考
東京オリンピック開催決定


"Under Control"の真意、
そして2020の文化発信は如何に。



2020年東京でのオリンピック開催が決定した。
単にスポーツだけの枠にとどまらない世界規模のビックイベントが、日本で行われることはとても素晴らしいことだ。自分はまだ生まれていなかったが、先の東京オリンピック(1964)も戦後日本の経済成長、国民の士気向上やさまざまな国益・国際的発展へと計り知しれない影響をもたらしたことに異論はない。そして、いろんな意見があっていいだろう。

今回の一連の招致活動には、おおいに複雑な思いがあった。
震災後のさまざまな問題に加え、福島の「汚染水」が深刻であるという現状とその招致へのコンセンサス、ならびに開催決定後の影響力を切り離して考えることは出来ないと思ったからだ。

それは「オリンピックなんてどうでもいい」という捻くれた感情ではない。自分も高校まで甲子園を目指して野球をやってきたし、「スポーツ」観戦、ことオリンピックやワールドカップといった世界大会の祭典は、寝る間も惜しんでワクワクするくらいに興味感心がある。そもそもたいていの人がそうだろう。本来は大手を挙げてバンザイといきたいのに、何だかノリきれない人も実際少なくない筈だ。

しかし、このモヤモヤとした感覚の一因は、歓喜する純粋なスポーツファンとは無関係のところで、何か計算されたプロパガンダのようなものが、はっきりと動いていることが透けて見えてくるからだ。純粋に喜ぶ国民同様、安倍総理や猪瀬都知事がさわやかな動機で「素晴らしき感動の祭典を東京で!」と躍起になっているのならまだ可愛いが、アスリートや純粋なスポーツファンをも巻き込んで、名誉の蓄積に翻弄する姿にえも言えない「不格好さ」を感じてしまう。しかしここで言う「名誉」とは巨大ビジネスであり、イメージを操る格好の道具ともなることは明白だからだ。オリンピックを実現させた功労者としてシンボル化される安倍総理。表向き国民の心証は良くなったのかもしれない。ただ、それがとても怖い。

プレゼンにおいて、安倍総理が舌足らずの英語で放った”under control”「状況はコントロールされている」という宣言は非常に重要な言葉だ。言葉のアヤなのだが、日本語で意訳的に言うと「状況を常に(把握できるように)政府がコントロール(情報収集と解決策に取り組んでいる)している」と「放射能が一切漏れないように、完全に制御できている」とはかなり意味が違う。水面下での予断の許さぬ状況を政府が監視していることは、世界世論にとっては、もはや「当たり前」のことと思うため、当然、安倍総理のステートメントは後者として受け止められることだろう。国内ではその「当たり前」が出来ているのか?という議論があるにもかかわらず…

さらにIOCからの質問に際して総理が言った、
「第一原発の港湾内の0.3km範囲内の中で完全にブロックされています。」
「数値は最大でもWHOの飲料水の水質ガイドラインの500分の1であります。」
「つまり健康問題については、今までも、現在も、そして将来も全く問題はないという事をお約束します。」
については、まさに「瀬戸ぎわのチカラ技」としか思えなかった。いち総理の宣言として、国民にこのようなハッキリとした具体的な声明を出したことも無いのに、世界的に注目される場でこう言ってのけた「外ヅラ発言」を疑わずにはいられないからだ。真意は別として、国内でもこれくらい歯切れよく、国民の懸念に応えてほしいものだ。そしてこれは国内を飛び越えて、世界にその責任を表明したことに他ならない。

戦後の復興と3.11からの復興を「オリンピック」に重ね合わせるのは難しいだろう。そもそも「オリンピック」の意味と時代背景が大きく変化している中でカラーテレビが普及し、新幹線が開通し、首都高が循環する。そんな経済神話の契機となることに、オリンピックを期待するのはもはや違う気がする。確かにオリンピックはさらに巨大ビジネス化し、株や地価も上昇することが予測できる。もちろんメディアやメーカー企業にとって大きな経済契機になることは間違いない。しかしもはや経済力(国際競争力)を世界に示す時代ではないのではないか。

さまざまな問題を抱えながら、成熟期を向かえている日本にとってさらに文化(良識)を磨き、世界に示すことがこれから進むべき道だと思う。日本人の素晴らしい文化意識や心意気を世界へ発信する大きなチャンスでもある。おおげさに言うと、そんな日本の魅力こそが、これからの国際社会を引っ張って行く原動力になるかもしれない。

前向きに考えれば、これから7年は世界世論が、日本の原発の問題に注視するはずだ。世界からの監視を維持出来たことは大きなプラスだとも考えられる。オリンピック開催国としての威厳をかけた「いい格好しい」の情報操作や真実をねじ曲げることに”under control” コントロールが駆使されないことを願う。そして、日本人が誇りを持って「純粋」にこの「夢の祭典」に一喜一憂し、楽しむことが出来れば最高だ。

(文・鎌江謙太)

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